2015年8月12日水曜日

1,000キロチャレンジの先は


 よく思うのは、「慣れてくる」身体ってすごいなと思います。

 あ、お久しぶりです!

 先月は、自分でも初めて月間1,000キロチャレンジをしたばかりですけれども、意外と乗り越えられたという「プチ自信」が自分の中でちょっと形になってきたんで、今日はそのことについて触れていきたいなと思います。

 このチャレンジ、確かに最初の頃は結構「ツライ」感じが拭えなかったんですけれども、連続でライドすることも長距離を走ることも、べつにこれまで経験が無かったわけではないんですけれども、月間でこれだけというのは自分にとっては初めてだったので、最初の頃は「恐る恐る」という感じだったんですけれども、慣れてくると「今日はどこいこ?」ぐらいの感覚に徐々に「慣れて」きていました。

 こういった「スイッチング」した瞬間というのはタブン何処かにあると思うんですけれども、ちょっとそこまではひとそれぞれのタイミングになるのかな?とは思います。

 このスイッチングした後というのは、「そこが自分の中での新しい視点」になるのでまた違った感覚が自分の中で醸成されているのをどこかしらで感じているのかもしれません。

 よく自転車乗りの最初の壁って「100キロを走りきれるかどうか」なんて視点を語ったりもしますけれども、自分もそんな時がむかしむかしにはあったなぁ~とちょっと思い返してもいます。

 たまに自転車屋さんで「まだ100キロ走ったことがない」なんて方をお見かけしたりしますけれども、なんというか自分から見ると少し「キラキラ感」があって羨ましいなぁとも思います。

 自分ではそこの点をクリアしているのでもうその時点には戻れないという「過去の経験」でしか無いのですから、それより長い長距離だったり月間の走行距離だったりで「キラキラ」するしか無いわけですから。
 ちょっと語弊のある言い方かもしれませんが、いわゆるそれだけ「時間が掛かってくる」という点で日が長い時は楽しめますけれども短い時は余り楽しめなくなってくるという。

 もちろん、高強度にすることで手っ取り早く・・・なんて事も一案かもしれませんが・・・・。

 ちょっと話が逸れてしまいましたが・・・、自分が一つ次のステージに上がれた際、ちょっと達成感もそうですけれども「新しい視点」を徐々にというかホトンド無意識に近いと思いますけれども、ソコだけでは満足できなくなってくるというか、そんな自分の中での感触というのは身体的な部分もそうですけれども、精神的な部分でもこれは繋がってきているように思います。

 初心者からすると、100キロなんてとても走れる距離じゃないと思うものでしょうし、ロードバイクに乗っている人が最初グラベル(未舗装路)を走る感覚も「走れたもんじゃない」なんて思うのと同時に、何とかして達成してみたいなんて思うものだと思います。
 グラベルはどうなのかは分かりかねますけれども、100キロという距離は走りきりたいと大体のロード乗りなら思えるものでしょう。特に男性なら。

 初めて100キロという距離を走り終えた後なら疲労感があると思いながらも達成感もあるでしょうし、一つの壁を乗り越えた感覚も自分の中に出来るかと思います。
 そこから徐々に100キロという距離に慣れてくると最初は無かった余裕感や距離感など色々な尺度が自分の中で再度形作られていって、例えば大阪市に住んでいて、京都まで行きたいとしても「じゃ、ロードで行く?」なんて感覚になってくるでしょうし、どこで休憩入れる、ここは寄ってみたいポイントなんていう余裕も出来るかもしれません。

 徐々に視点が変化していって、「じゃ~次は?」なんて新しい視点が見えてくるとまた新しい魅力がソコに広がっている、そんなサイクルが自転車の中にはあるように感じます。
 まぁ、通常の競技だったり、他の趣味の世界でも同じような事が言えるのかもしれませんけれども・・・。

 今日はこんなところで

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